私の税務署職員人生はルーティンのように過ごした日々もありましたが、人生においての挫折や苦悩も数多く経験しました。
今となっては苦い経験も活かして活動していますが、公務員時代からそのような行動や思考があったわけではありません。
それを記録したのが『税務署職員歴史』です!
全8記事で構成されており、私が税務署採用されてから退職するまでを時系列でまとめました。
もし8回分の記事が多い方につきましては、コチラの2記事をお読みください。
税務署を辞めた理由と収入が無くても公務員を退職の選択に後悔してない理由を書いています。
公務員採用から税務大学校を卒業するまでの流れ【税務署職員歴史1】
高卒で税務職員として採用され、最初の1年間を研修所で生活した際の体験談です。
厳しい環境といっても、「お金が貰えているだろ」と言われればそれまでです。
公務員として研修を受けていますので。
ただ、そんな状況でも退職する同期は1割いました。
合理的に考えればお金を稼ぎつつ次の仕事を見つけるには適した環境ではなかったのではないかと思います。
ですが、お金をもらいつつ勉強できる環境でも辞める同期が多い現実が仕事はお金が全てではないと最初に感じた時でした。
電話を取る手が震えて何もできなかった1年目【税務署職員歴史2】
社会に出れば勝手に成長できると思っていましたが、それを幻想だと思い知った税務署配属1年目です。
客観的に見ても私は「使えない職員」でしたので、一番身近な先輩には本当に嫌われました。
また、私自身の向き不向きを知った時期でもあります。因みに電話応対は今でも嫌いです(笑)
税務調査をする立場が嫌で心が壊れた職員【税務署職員歴史3】
私が税務署を辞めた根幹部分である税務調査。
税務署の人間が税務調査を出来ないのは本当に肩身が狭い思いをします。
昇進も出来ませんし、陰口も叩かれます。
逆に税務調査が好きな人にとっては天職です。
今でも調査好きの先輩・上司の顔が浮かびます。
そんな職場環境が書いてある記事となっています。
うつ状態から仕事復帰するまでの過程と理由 【税務署職員歴史4】
この時期は私が間違いなく人生で一番悩んだタイミングでした。
公私ともにトラブルが発生し、頭の中がぐちゃぐちゃになって本当にどうしようもなかったです。
ただ、仕事を辞めなかったのは辞めても次の職場で続けられる見通しが立たなかったからであり、その意味でも退職を踏みとどまることができた税務署の職場はまだ恵まれていたのかもしれません。
究極に仲が悪い同僚の板挟みとなった初転勤【税務署職員歴史5】
国家公務員は転勤が付き物です。
税務署の場合1~4年以内にほとんど確実に転勤になりますし、私も税務署勤務4年目にして初めて転勤になりました。
が、初めての転勤先で人間関係の板挟みを経験することに。
仲が悪い先輩たちの席の間に私の席を設け、私を壁とした見事な設計。
その席は嫌でしたが、私が間に入らないと毎日ケンカしてた可能性はあるのでなんとも言えない気持ちでした・・・
仕事の不満が慢性ストレスを起こし身体を壊した【税務署職員歴史6】
現在も苦労しているのがストレス反応。
私はたくさんの肉体的・精神的な症状に悩まされています。
特にひどくなったのがこの辺りの時期からで、特に切迫性尿失禁については本当に辛かったです。
税務署を退職してからは切迫性尿失禁は和らいでいますが、ストレスが溜まるの症状が現れるので一生付き合う覚悟をしています。
税務署の内部担当職員は組織から評価されない【税務署職員歴史7】
税務署の内部事情について書いています。
税務署には大きく分けて、内部担当と調査担当に分かれます。
調査担当はその名の通り税務調査をメインに仕事をするので税務署の花形。
税務調査が優秀だと多少の性格難は見逃してくれるくらいです。
逆に内部担当は出生に一番遠いポジションです。
いくら優秀な内部担当でも、内部担当出身者で早くに出世した人を見たことがありませんでした。
もちろん私も(税務調査が出来なかったので)内部担当でしたので出世の選択肢はその時点で存在しないものとなりました。
退職を申し出てから1週間で最終出勤を迎えた話【税務署職員歴史8】
仕事の内容には慣れたのですが、逆になれ過ぎて仕事に飽きてしまったのが正直な感想です。
公務員ほど職場環境が一変することに期待するのは難しく、またそんな職場であと40年働く気持ちにはなれませんでした。
辞職の申し出から20日程度で最終出勤を迎えたのですが、それは上司に事前に心境を伝えていました。
ですので、引き留めに関してはほとんど皆無で、退職をすることができました。
ご参考になれば幸いです!