前回までのあらすじ
税務署の花形である税務調査を担当者として初めて連絡したが、オレオレ詐欺と勘違いされ、心が折れる。
以上!
今回は私の人生で最も落ちていた時期の話です。
年齢では20歳から21歳の時期でしたので、大学に進学してた同級生は大学生活を謳歌していたと思います。
税務署の仕事である税務調査をすることができず、無気力状態になったのですが、実は同時期にはプライベートでもショッキングな出来事がありました。
お金の持ち逃げです。
何千万円との金額では無かったですし、保証人とかでもありませんでした。
ただ、私の数少ない働くことの意義である『お金』を奪い逃走しました。
私一人の話ではないので詳細は説明できませんが、それが原因で本当に何のために働いているのかわからなくなっていました。
仕事内容もダメ
働いてもお金は奪られる
人生にも活路を見出すことが出来ませんでした。
当時の私は誰が見てもおかしかった職員でした。
常に下を向き、挨拶もロクにしない。
それでも一日も休まずに出勤していたのは、今思うと不思議な気分です。
(上司に調査が出来ないと申し出た日は早退しましたが)
でも、出勤はしていたものの、仕事なんてほとんどしていない状態。
窓際族なんて目じゃないくらいの体たらく。
しかし、奇跡的に数か月後には何とか持ち直し、紆余曲折ありつつも10年税務署職員として働き続けました。
では、当時どんな様子だったか、またどうしてそこから復帰したのかをご紹介してきます。
1:何もできなくなった無気力な税務署職員
当時は本当に何も仕事をしていませんでした。
誰でもできるような単純作業を毎日こなして、定時になると直ぐに帰宅してました。
そんな当時の私は、
- 電話が鳴っても無言で無視する
- 電話対応を先輩(20歳以上年上)にさせる
- 面接相談があっても一切自分では対応をしない
客観的に見ても完全な無気力状態の職員です。
元に近い状態まで復帰はしたのですが、当時ご迷惑をかけた先輩・上司が数年後に私を見て、「よくあそこから復帰できたな」と口々に言っていたそうです。
そのくらいボロボロの状態でした。
当時を振り返ると、人生で初めて「もう無理かも」とリアルに想像し、将来に絶望していました。
それが如実に表れたのが、お風呂の湯船に頭まで浸かった際に、「このまま潜ったままなら逝くかもしれない」と考えた瞬間です。
実は私は従前、うつ病や精神的に悩んでいる人に対して批判的な考えを持っていました。
でも、いざ自分がその境遇に陥ると、
「あぁ、こんな心境になるんだ」
と妙に納得した記憶があります。
因みに、詐欺などでお金を奪られた人に対しても「取られた方も簡単に騙され過ぎじゃないか」と思っていましたが、いざ自分が経験すると何も言えなくなりました。
うつ状態や詐欺被害にあったことで共感力や思考に柔軟性が増えたのは不幸中の幸いで、今の自分の役に立っています。
ただ、心身に現れる症状や、疑心暗鬼の心は拭いきることはできなくなりましたが・・・
2:うつ状態でも公務員を辞めなかったのは次が無かったから
仕事もしない、無気力状態。
人生で初めて心療内科を受診したのもこの時期です。
(医師が全く合わなかったので1度しか行きませんでしたが)
ですが、それでも公務員を辞めませんでした。
理由は一つで、高卒後数年経過している状況で辞めても、公務員以上の待遇の職に就けるとはとても思えなかったからです。
現在はプログラマーなど高卒でも技術を身に付ければ働ける場所はあります。
当時もその選択肢はあったとは思いますが、私の場合、ようやく自宅にインターネット設備が整ったくらいの時期で情報を探すことすらままならない状態です。
また、実際高校卒業して3年経過した人間が就職できるのは建設業かサービス業、営業職くらいです。
もちろんそれらの職業が悪いとは思いませんが、当時の私が建設業やサービス業の職に就いても働き続けられる自信はありませんでした。
ですので、税務署の職にしがみついていました。
ただ、しがみついたからといって絶対に好転する未来は見えない職場環境。
なのに自分から行動する力がなく、ただただその場に居座ることしかできませんでした。
実は、うつ状態や無気力状態の怖さはこの行動力の喪失にあります。
無気力状態になると新しい発想や道を切り開く考えすら思いつきません。
考えるのはただ「今」と漠然とした「将来の不安」のみです。
そんな状況で自らの力だけで現状打破をするのは極めて困難な状態だと、私自身身をもって痛感しました。
3:無気力状態からの脱出できたのは今の自分の状態を知らない知人のお陰
後日談となりますが、私はこの数年後にも心身を壊します。
嘔吐するまでの目の痛み、通勤でトイレが我慢できない強迫性失禁など、今でもその症状は残っています。
ただ、一番最初に無気力状態となったこの時期が、最も辛く大変でした。
ですが、奇跡的に復帰して通常通り仕事もすることができるようになりました。
(税務調査はしませんでしたが)
復帰できたのは本当に偶然で、無気力状態になってからある日、自分あてに1通のメールが届きます。
(当時LINEはありませんので)
送り主は高校生時代に知り合った友人で、「お久しぶりです、どうしてますか」と近況報告も兼ねた極々普通の内容のメールでした。
相手の友人は大学生だったのですが、大学の状況やサークル活動について話してくれます。
一方私は、自分の今の状況は話さず、高校卒業して税務署職員となったことや、どんな仕事をしているのかを伝えました。
メールのやり取りは楽しく、「自分がもし大学に入学してたらどんなキャンパスライフを送っていたのだろうか」とタラレバを何度考えたか。
でも、一点だけ相手に伝えてない事がありました。
自分が無気力状態で仕事をまともに出来ていない事です。
私は自虐的な発言はよくするのですが、相手がネガティブな感情になるような発言はあまりしません。
それが原因で自分で抱え込んでしまう性格でもあるのですが、少なくても相手に負担を掛けたくないとの思いがあります。
当時の私もそうでした。
無気力状態でしたが、私はきっちりと相談した相手は誰一人としていなかったと思います。
(もしかしたら記憶が抜けているだけかもしれませんが)
そんな性格なので、高校時代の私しか知らない友人には高校時代の自分のイメージのままであってほしかったのです。
「自分自身はどうでもいい」との気持ちなってました。
ですが、相手を失望させたくない一心で普通に仕事をしているように装ってました。
平たい話、私のカッコづけです。
ちんけな理由なのですが、カッコつけたいその気持ちが仕事を少しづつ前向きに動かしてくれました。
実際相手の方と再開する日が決まると「そこまでは何とか頑張ろうと」踏ん張りました。
もし、相手からメールが来なければ既に退職していたかもしれません。
あと10日、
あと7日、
そう自分に言い聞かせ、何とか友人と再会する日まで仕事を続けました。
そう頑張っていると、徐々にですが仕事に復帰することが出来るようになり、最終的には税務調査以外は普通に仕事をできるようになりました。
自分自身の力では何もできませんでしたが、他人の気持ちを考えたら何とか頑張れた。
それが私の中で初めて実感した『他者貢献』の感覚でした。
4:自分の為ではなく他人の為に頑張ること
当時の体験は今の私にとって根幹の部分に残っています。
他者貢献は、他人ために尽くす行為なのですが、相手がどう思っているかはあまり関係なく、自分自身が相手に貢献している気持ちがポイントです。
ストレングスファインダーなどの根拠のある性格診断では、資質として『他者貢献』があります。
私場合には他者貢献の資質が強く、ストレングスファインダーでは『親密性』と表現されてますが、34種類の資質の中で3番目に強い資質です。
ストレングスファインダーを試したのは税務署を退職する少し前なので、当時は無自覚でした。
ですが、当時偶然連絡してきてくれた知人がいたからこそ他者貢献の力を利用することができ、知人には感謝しています。
また、強みを活かすことは自分の人生の満足度にも繋がります。
やりたい事がなかったとしても、自分の強みを活かしていれば幸福度は得られるので、一度試してみてはいかがでしょうか。
次回は税務署に配属されてからの初めての転勤についてです。
税務署の場所は良かったのですが、真逆で人間関係がとても難しい職場でした。
なんとそこで、人生で初めて板挟みを経験しましたので(苦笑)
良かったら次もご覧ください!
ご参考になれば幸いです!