「わからない」
が口癖の人っていますよね。
何をしたらいいか「わからない」
やりたい事が「わからない」
どうすればいいか「わからない」
「わからない」気持ちはわかります。私もわからないことは沢山ありますので。
でも「わからない」をわからないままにして、解決できる方法はありません。
臭いものに蓋をしても臭いのは変わりありません。
『臭いもの』は元々の匂い自体を無くすか、臭さを消すしかありません。
そのままの状態で解決できる問題はなく、自分で解決する方法を考えなければ問題解決に至りません。
自分で考える力が無いと他人の言葉を鵜呑みにすることになります。
「○○を飲んだら体重が減った♪」
「楽に稼ぐには△△すべし!」
「まだ□□で消耗しているの?」
全てがウソでも全てが本当でもありません。
自分にとって必要な情報だけを汲み取る力が今後生きる上では必須です。
なぜ、「わからない」が危険なのかまとめましたので、続きをご覧ください!
1 正解が一つであると思っているのか不正解
⑴ 学校では常に答えが存在するから社会で勘違いする
学校の授業には必ず答えがあります。
算数や数学にはもちろんありますし、理科の実験もそうです。
答えを前提とした問題なので答えが無いわけがありません。
学校の指導方法についてここでは触れませんが、少なくても考える力の重要性が軽視されています。
学校で考える授業と言えば精々道徳の時間や国語の作文程度でしょう。
でも、それも求めている答えが存在します。
道徳には伝えたいメッセージがあり、国語には作者の気持ちが用意させており、そのような学習では独自の価値観なんて生まれるはずがありません。
考える事がどうして必要か
多様性とは何か
マイノリティとは何か
学校で教える機会はあるでしょうか。
また、それらについて考える機会はあるでしょうか。
少なくても私の時代にはそれを考える機会はありませんでしたし、学校の授業は進学するためのツールでしかありませんでした。
「どうして数学を勉強する必要があるの」
「理科の実験なんて社会に出て必要ない」
この質問に答えられる先生いましたか。
いても少数でしょう。
でも先生を非難するわけではありません。
先生もまた学校教育を受けてきた生徒ですので。
⑵ わからなくても他人が答えを教えてくれる安心感
学校は自分が回答しなくても他の人が回答してくれます。
授業で答えたくなければ手を挙げなければいいですし、指名されても無言でいれば先生が「わからないの」と聞いてくるのでうなずけばいいだけです。
自分が答えなくても他人が回答してくれる
自分が答える必要が無い
そんな環境で育ってきました。
「自分がやらなくても誰かがやってくれる」
社会全体でもそのような風潮はあります。
でも実際働きだすとそんなことは幻想でしかないことを痛感します。
社会は自分がやらなければそこで終わりです。
⑶ 社会に出た時に初めて答えが無い場面に出会う
社会に出たときに初めて責任が負うことになります。
学生時代の責任は自分だけで済みました。
しかし会社員であれば会社を背負って行動します。
でも背負うことの大変さは社会に出るまでは誰も教えてはくれません。
若い人を『指示待ち人間』と揶揄する言葉があります。
確かにその言葉が刺さる人もいるでしょう。
でも『指示待ち人間』その人だけの責任でしょうか。
目だった行動をせず穏便に過ごすことが評価された学生時代を歩んできた人はそれが正しい価値観だと認識します。
その積み重ねてきた価値観を社会に出た瞬間に壊すことは容易ではありません。
変化に苦痛が伴います。
学生時代(穏便で)優秀だった生徒であるほど変化が求められるので、社会人になって変化による苦痛をより味わうことになるのです。
2 わからないは「平和」の象徴
⑴ 選択しないで生きていけるのは幸せな事
社会がこれだけ変化している中で、日本社会の仕組みは未だにレトロなままです。
古き良き時代も好きですし、今より昔の方がよかった部分もあります。
しかしこれだけ変化が激しいと、若い世代は今のままの形態で生きていくのは厳しきなってきます。
友達と一緒の高校行き、
親や先生勧めで大学に進学し、
教授の言われるがままに就職先が決まり、
職場の指示に従い定年まで過ごす。
この生きた方に本人の自主性があるでしょうか。
私はこの生き方を否定しません。
むしろ、この生き方に納得できるなら立派な人生です。
上の世代にはその生きたサンプルが沢山ありますし、目印にもなります。
自ら選ばないで設置された道で納得できるなら、人生であればその流れに沿って生きるのもアリだと思います。
⑵ 将来の不安は仕事をしない人生に生きがいを持てるかどうか
将来どんな風になるかは誰も予測できませんが、少なくてもどのような世界になるかを想像することはできます。
でも、ほとんどの人が心配するのは老後だけでそれ以外に関しては無頓着です。
老後だけでありません、労働事情もどうなるのかは不透明です。
本当にAIが発達すれば半分の仕事は消滅するかもしれません。
仕事は無くなってもベーシックインカムで無償でお金を手に入れられる社会構造もあるかもしれません。
でも、余った時間(余暇)をどう過ごす(生きればいいか)のかを不安に思っている人は少数です。
20年後にはベーシックインカム制度が導入される可能性もゼロではありません。
今20歳の人なら40歳から働かない人生を歩む可能性もあります。
100年人生なら40歳からの60年間は働かない人生がまっています。
でも60年間も働かなくて生きていけるでしょうか。
定年を迎えた人が、仕事が無くなった途端に突然死するケースがあります。
仕事が人生の全てで、仕事を失ったら目的も失った人もいます。
いくら仕事が嫌いだったとしても、働いている中に多少の喜びは感じていたはずです。
それを60年間も無く生きていけるでしょうか。
もしかしたらそんなことを考えるのは杞憂であり、みんな何となくやりたことがあるのかもしれません。
でも、結局は仕事をしたいと思う人が増加して、無償で働く人が出てくると思います。
⑶ 終身雇用制度はひと昔前のカーナビ
批判されることも多い終身雇用制度ですが、メリットがあるからこそ現代までその制度が存続し、労働組合はそれを守ろうとしています。
一番のメリットは労働者自身が働くことだけに集中することができるからです。
企業の経営が傾けばリストラのリスクはありますが、リストラは容易にできるものではありません。
基本的には就業規則違反等をしなければそのまま会社に残ることはできます。
車でドライブするときに、道なき道を進むのにはちょっとドキドキしますよね。
カーナビが道を表示してくれればどの道を進んでるかを把握できるので、安心して通行できます。
終身雇用制度もそこに勤務している先輩はカーナビのような存在で、その人を辿れば目的地(定年)まで行くことができました。
でも残念ながら、終身雇用制度というカーナビは古くなってしまい、最新の道を表示できていません。
今の40歳以上の人ならなんとか終身雇用制度のレールの上を走れると思いますが、流石に30歳代以下の人は無理です。
40年後には定年自体が無くなっている可能性があります。
そうすれば企業は永遠と職員を継続して雇わなくてはいけませんので、終身雇用制度自体が成り立たなくなります。
そうなると働き方としては、個人が働き口を選ぶ社会の流れにはなっていきます。
10年後20年後に終身雇用制度が無くなるとは思いませんが、今から働く人が終身雇用制度のカーナビを信じるのは少し危険かもしれません。
3 「不安」の正体は答えが欲しい時に探し方がわからないこと
人生にノーリスクは存在しない
会社員や公務員を退職し、起業や自営業として働いていくのには確かにリスクがあります。
でも、会社員であるからといってリスクが無いわけではありません。
新しいチャレンジへのリスクには敏感ですが、ずっと付き合ってきているリスクには非常に鈍感になっています。
流行する風邪や新型ウィルスには非常に敏感になりますが、普段の体調不良には鈍感です。
朝起きた時にめまいがする
立ち眩みが激しい
左腰が何だか痛い
初めは気になるかもしれませんが、毎日その症状が出るとそんなの気にしないですよね。
それがたとえ重病であったとしても。
働くことも同じです。
会社が倒産する可能性があることは誰もが認識してますし、理解もしています。
しかし実際に何十年も勤務していると、その会社に勤務していること自体が当たり前なので倒産する事なんて頭の片隅にもありません。
そんな人の会社ががいざ倒産したらどうでしょう。
何も考えてない状態での無職です。
それこそ真冬に裸で外に追い出された状況と同じです。
自ら進んで退職する人は心構えがありますし、準備も出来ています。
防寒完璧!とはいきませんが、最低限の時間寒さに耐えられる服装で外に出ています。
(貯蓄や、コネクションによる仕事依頼)
同じ極寒の地に出るとしても服装の違いで危険度は変わります。
また、家(会社)にいてもいつでも外に出る支度はして損はありません。
⑴ リスクを選択できる人は全てにリスクがあることを認識しているから
SNS上で会社員や公務員であることを煽る人もいますが、煽る人は(多分)属して働くことへのリスクを認識させるために煽ります。(性善説)
会社員や公務員のメリットも当然あり、個人ではできないような規模のプロジェクトやお金を動かすことができます。
個人で働いている人が動かせるお金は精々1億円とかの金額ですが、大規模会社になればその何十倍、何百倍の規模のプロジェクトがありそれに携わることができます。
逆に大きなお金を動かすことに魅力を感じていない人は、別に会社員や公務員といった形態の働き方をする必要はありません。
ネット上で個人間で請負をすることも可能ですし、時間にも融通が利きます。
リスクはお金だけではありません
有限である時間の消費もリスクです
悪い環境も健康リスクです
人々によって重要視するリスクは違いますが、自分で意思決定する人は自分にとってリスクの少ない選択して働いています。
⑵ 他人の言葉で解消される「不安」は「不安」ではない
一時期自己啓発本をよく読んでいましたが、今はほとんど読んでいません。
読んだとしても興味のある人物の自叙伝くらいです。
(アカデミー賞を取った辻一弘さんの自伝『顔に魅せられた人生』は読んで損はないです!)
自己啓発書は記載内容が似た者同士ってこともありますが、一番は結局は自分自身が行動しないと何も起きないとの結論に至ります。
友人に「人生大丈夫だよ」、「これからはもう安心だよ」と言われて安心しますでしょうか。
安心しませんよね。
では誰に声を掛けてもらえれば安心できるでしょうか。
- 自分の尊敬する人
- 家族
- 国家のトップ
誰から言われても自分の不安は消えないと思います。
それは自分で解決しないと不安は無くならないから。
確かに偉人の言葉や感動するスピーチはあります。
私も『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』に出会って考え方が変わった経験を持っています。
それでも他人に言われて解消される不安は不安ではありません。
現状何も変わっていないに不安が無くなることはありません。
唯一の方法は自ら行動し今を変化させることです。
4 考えるからこそ人間である
⑴ 鍛えないと衰えるのは筋肉も思考も同じ
筋肉は鍛えないと衰えることは誰もが知っています。しかし、頭は鍛えないと衰えることは普段認識していません。
認知症で脳の衰えはクローズアップされますが、果たして60歳代以下の人が認知症を考えて脳のトレーニングしてるでしょうか。
脳を鍛えない一番の理由は目に見えないことです。
筋肉は鍛えれば目に見えてわかりますが、脳を鍛えてもどう変化したかわかりづらいです。
筋肉は最初から効果がわかりますが、思考は慣れるまでは苦痛ですし、楽な方に流れてしまいます。
⑵ 「考えない」を考えて選択するのはアリ
私は考えろ考えろとお伝えしてますが、「自分は考えない」と選択するはアリだとと思っています。
一番大事なのは自分の意思で選択したこと
自分の意思で選択をしたことには納得ができます。
人が選んだ道がもし外れたら選んだ人を多少なりとも恨んでしまいます。
自分は専門学校に進学したいのに、学校の先生に「とりあえず大学に進学しろ」と言われ進学した。だけど大学に進学しても自分のやりたことは無く、「専門学校進学しとけばよかった」って思っていたら、大学進学を勧めた先生を恨みますね。
でも、自分で「絶対に専門学校へ行く!」と主張し、結果的に進学が失敗しても、選択をしたら自分自身への後悔はあるかもしれませんが、他人を恨むことはありません。
時に人を頼ることも意見に耳を傾けるのも大事です。でも、どんな行動にしても自分で考えて選択をすることが人生を豊かにし、自分の人生に『納得感』を生み出します。
おわりに
人生は考えて導き出すから楽しいです。
簡単な道に楽しさはあるでしょうか。
ドラクエがスライムだけを倒してクリアできるゲームだったらここまで流行したでしょうか。
主人公をレベルアップさせ、時にダンジョンに迷い、時に選択ミスをしながらも成長できる過程があってこそ楽しいのだと思います。
悩み考え、そして成長する過程が喜びを感じさせ、達成した瞬間に幸福を覚えます。
とにかく自分の頭で考えることです。
考えるのは面倒だし、大変なのは私も実感しています
未だに、ついYouTubeやニコニコ動画を見てしまいブログの記事が書けない日もあります。
それでも、慣れれば自然と考えられるようになれます。
そうすれば、大きくレベルアップして次のステージに進むことも出来ますので!
ご参考になれば幸いです!