凶悪な犯罪を犯したの裁判が行われた際、被告人が暴れ出した話が話題になりました。
Twitterのタイムラインを眺めていると、
などの意見が大半でしたが、私の考えはまったく異なるものでした。
1:おかしな人は一般人と違う感性を持っている
そもそも論として、大きな事件や犯罪を行う人は、一般の人と感覚が違います。
一時の感情や過ちで犯してしまう出来事もあるかもしれませんが、テレビやネットニュースになるような話題の人は基本的たがが外れていますので、一般論で考えるのは無理な話。
スマホゲームに何十万も使っている人に、
と説明して納得する人は、スマホゲームにお金をつぎ込んだりしません。
(もちろん何に対してお金を使うかは自由です。)
また一般人の定義も難しく、同じ行動をしている人数が多いグループが「一般人」となり、少数派の人の行動は「異端児」となっているだけじゃないかと。
そもそも、一般人のものさしで普通な行動をする人は、異端児ではなく一般人です。
2:おかしな人がおかしな行動をするのは普通
罪を犯した人の裁判で、加害者が行った行動・発言が批判されますが、変な行動をしたから犯罪に至ったわけで、普通の行動をしていれば重大な犯罪を犯すことはありません。
(犯罪を肯定する話ではないです。)
逆に重大な犯罪を犯した人が、まともな答弁をしている方が私は怖いです。
まともな思考回路があるのにもかかわらず、重大な犯罪を犯したのであるなら、同じようなケースが多発する可能性は十分に考えられます。
そちらの方がよっぽど怖くないでしょうか。
もちろん当事者間で解決すべき(納得するような)問題はあります。
ただそれは当事者間だけの問題であり、第三者がそこに介入してあれこれ言うべき話ではありません。
異常者が異常な行動したなら、それを抑える方法を考えるのが第三者の立場の役割であり、物事をすべて主観で判断するなら、ハンムラビ法典の時代と考え方は大して変わってないのでは?と思います。
3:レアケースを拡大解釈して損をするのはもったいない
物事を客観的に考える場合、レアケースを拡大解釈すると絶対に損をします。
重大な犯罪が発生した際、予防策として大規模な規制や法改正が行われることがありますが、それにより不利益を被る人も一定数います。
1人の異常者が起こした行動により、100万人の行動が制限される法律が果たして正しいのでしょうか?
逆に被害者が多く発生している出来事でも、恩恵が受ける人が多ければ法律は改正されません。
高齢者の運転免許証の返納が義務化できないのも、その一つであり、自ら恩恵を受けている事柄を人は簡単には手放したくないのです。
自動車事故を本気で削減したいと考えるなら、運転免許証とマイナンバーカードを一体化させ、マイナンバーカードを車の鍵になるように設計すればいいだけです。
運転免許許可を得た人じゃないとエンジンがかからないようにすれば、無免許運転や高齢者が運転する可能性は激減しますので、自動車事故を大幅に減らせます。
もっとも、自動車側からすると、マイナンバーカードを鍵にする仕組みにすると国外販売できなくなるので、導入するとは考えにくいですが…
4:自分の考えなんて選択肢の一つでしかない
常識なんて時代が変われば変化します。
50年前の日本で、セクハラやパワハラの問題が社会問題になると想像できたでしょうか。
ほとんどの人が、昔からの考えを柔軟に変更できると本気で思っているでしょうか。
頭が固いと思っている人対し、「なんで考え方を変えないのかな?」と思っても仕方がありません。
それは砂糖がどうして甘いかを悩んでいると、同じくらい意味の無い話です。
砂糖が甘いのが苦手なら、砂糖を含んでいる食材を避ければいいだけで、ショートケーキを食べてる人が「何でショートケーキは甘いの!」と怒る人がいたら、ちょっと変だと思いますよね。
変だと思っている人は、変な行動をするなら変な人なのです。
変な行動をしない変な人は、変な人ではありません。
自分が変な人だと認識している相手がいるなら、普通の人への対処法ではなく、変な人に応じた対処法をすればいいだけ話。
それを理解しているのに、変な人に対して普通の行動を求めるのはおかしな話ではないでしょうか?
ご参考になれば幸いです!