合理的な習慣

遂に当事者に。三世代介護時代に突入した現実と苦悩

介護

老老介護」の言葉は、最近よく耳にするようになりました。

老老介護とは、65歳以上の夫婦や親子同士で介護をすることをいい、超高齢化社会の日本においては回避不可能な現実です。

私はまだ32歳なので老老介護には該当しませんが、孫の立場として介護の現実に立ち会うことになりました。

今後は、子と孫が支える三世代介護が主流なると考えていますので、その現実についてご紹介します。

1:老老介護が日常的な光景になる現実

25歳の子どもが生まれたと仮定すると、90歳の親を65歳の子が介護することは極めて現実的です。

また、平均寿命からすると90歳以上まで生きる人は多いですので、老老介護が一般化するのは想像に難しくありません。

 ⑴ 2020年に女性の中で50歳以上が占める割合は過半数を超える

「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」(河合雅司)の著書内では、2020年に女性の過半数は50歳以上になる見込みとの記載があります。

日本が一番輝いていたバブル期くらいまでは、定年が50歳又は55歳が一般的だったことを考えると、人口の半数以上が50歳以上になるのは驚愕する数字です。

また、男性に関しても女性の年齢構成と大差はありませんので、日本は中高年が6割も7割も占める特異的な社会が形成されることになります。

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書) [ 河合 雅司 ]
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 ⑵ 介護が不要な状態で天命を全うできる人はほとんどいない

介護とは、自分一人で日常生活ができない人をサポートすることです。

そのため、自分一人で生活できるまま天命を全うされる方が多ければ、介護は不要となります。

ただ、天命の最後の時期はどうしても介護が必要になります。

それが、1ヶ月なのか1年なのか、はたまた10年なのかは人によって違います。

ただ、誰もが介護が必要な状態なることは確実で、介護が必要になれば毎日世話をすることがある種の必然です。

そんな状態で問題になっているのが、介護する側の人数が不足している点。

目を逸らしたくても、逸らせない現実がそこにはあります。

 ⑶ どう考えても少子化で介護に携われる人数が不足する

介護で問題なのが、少子化による労働人口の減少です。

介護程度によってはほとんど付きっきりで世話をしなけれなりませんので、1対1か2対1で介護をすることになります。

ただ、超高齢化社会でそれをやるとなると、圧倒的に人材不足に陥ります。

若者が介護に携わるようになれば他業種の働き手が不足しますし、介護はどうしても賃金が安く労働条件が厳しいので人気がありません。

そうなると、最終的に頼ることになるのは家族ですが、家族に介護を押し付けると介護する側が疲れてしまうのは、目の前で見てきた私も痛感しています。

2:孫である自分の身に降りてきた介護の現実

少し客観的に介護について書きましたが、その介護が私自身にも降りかかってきました。

私の家族の場合には祖父が介護が必要となり、介護施設に入居せざるを得ない状態です。

 ⑴ 全員健康なら三世帯同居はほんとうにラク

私は、実家で家族三世帯で暮らしています。

幼少期に父を病気で亡くしており、今までは祖父母と母、兄と一緒に生活していました。

30歳を超えても実家暮らしなのは批判的な目線もあると思いますが、家族間にいざこざがなければこれ以上ない居心地の良さがあります。

また、祖父母からすると孫はいつまでも孫なので、居るだけでよくできればずっと同居していたい存在です。

また、戦前までは三世帯同居なんて珍しくありませんでしたので、家族で支え合う精神があればわざわざ一人暮らしする必要はないと思っています。

 ⑵ どんなに健康でも加齢による衰えは顕著になった祖父

私の祖父は大正生まれなので、とうに90歳を超えています。

90歳近くなってくると聴力の衰えや食事中に居眠りしてしまうこともありましたが、それでも2年くらい前までは普通に生活していました。

しかし、ある時を境に行動が怪しくなり、認知症特有の昼夜が逆転したり、不可解な言動が多くなるようになりました。

何事にもキッチリしていた祖父のそのような姿は、孫として見たくありませんでした。

しかし、認知症になっても祖父は暴力などは一切することはなく、私に対しては今まで以上にやさしいおじいちゃんのまま。

そんな祖父が衰えが顕著になったのは、介護施設に入居する半年くらい前から。

その時期からはお風呂にも入らなくなり、そして自分で排泄処理もままならなくなりました。

3:介護する覚悟ができない孫の自分

自分で申し上げるのは恥ずかしいですが、私は介護をする自信が今もありません。

本当に情けない孫だと思っています。

 ⑴ 想像するだけで嘔吐しそうになる自分の情けなさ

老化著しくなると、食事中に居眠りをすることは日常的になります。

本人は寝ているつもりはありませんが、実際には熟睡してますので、茶碗を割ることや口から咀嚼した食べ物がこぼれることもあります。

そんな祖父と同じ食卓で食事をしていたのですが、祖父が咀嚼した食べ物が口からこぼれるのを見た瞬間、私は嘔吐する寸前までいってしまいました。

おそらく、咀嚼した食べ物がこぼれると嘔吐を連想したために、気持ち悪くなったのだと推測します。

普段の生活では、それでも問題ありません。

しかし、介護をする立場になった場合には多少の粗相は気にしない心がないと、介護はできません。

ですので、私は嘔吐寸前になった時に「介護は無理かも」と思ってしまいました。

 ⑵ 孫の私は何も介護をしないで祖父の介護は祖母と母のみがしていた

祖父が排泄処理を失敗するようになってから、祖母と母が対応しており、私は一切していませんでした。

情けない話、私が排泄物の処理をできる気がしませんでした。

これだけ長い間一緒に暮らしていた家族でさえも、無理です。

私が結婚し、子供が生まれれば話は違っていたのかもしれません。

ですが、現実には独身でも親の世話をしている人は多くいますし、介護職の人も同様です。

そんなことを考えると、何も介護の手助けができない自分が情けなくなりました。

 ⑶ 親の介護を想像すると自分ができるかどうか不安になる

私の祖父については祖母と母、そして看護師の叔母が対応していたので、入院するまではそこまで大事には至りませんでした。

しかし、いつかは祖母や母も、祖父と同様に介護が必要になることは間違いありません。

そうなれば世話をするのは、私を含めた子(孫)が行うことになるのですが、正直不安でいっぱいです。

介護施設にお願いすることも選択肢ですが、同居している家族だとその割り切りするのは本当に難しいです。

4:同居している家族にしかわからない介護の感情

介護の話をしていると「施設に預ければいいのでは」との声があります。

私もその意見に賛成ですし、介護が必要になった今でもその意見が変わることはありません。

しかし、いざ施設に預ける立場になると話が全く違います。

これは同居している家族にしかわからない感覚です。

 ⑴ 介護の大変さと祖父と一緒に住むことを天秤にかける難しさ

祖母と母は祖父と60年以上一緒に住んでいますので、祖父のいない生活が想像できません。

毎日介護に追われる日々がある一方で、その祖父が身近な場所からはなれることは想像以上に悲しいです。

病院から祖父がもう自宅に戻ることができないと伝えられた時、私はものすごく悲しかったですが、それ以上に悲しかったのは母と祖母です。

その感情を押し殺すことができるほど、浅い日々は送っていませんでしたので。

 ⑵ 施設に送る選択をできるのは同居していない家族

Twitterなどで、介護が施設に預けた方がいいと言う人のほとんどは、介護が必要な方と同居していない人ばかり。

一方、施設に預けた方がいいと思っていても自宅で介護をしつづけるのは同居している家族です。

介護が必要な人が「施設に預けていい」と言ってくれればラクですが、その言葉なければ家族は中々預けることはできません。

なぜなら、施設に預けることは感覚的に見捨てる行為に似ている部分があり、ある種の罪悪感があるからです。

介護が必要な人も少しは家族の事を認識できますので、「いつの間にか自宅とは別の場所にいるとなると悲しくなるのでは」と家族は考えます。

実際にはわかりません。ただ、認知症になった以降ではその意思疎通をすることも難しいです。

 ⑶ 当事者になって初めて痛感する施設の利用料金

私の前職である税務署時代には資産課税部門に所属していました。

資産課税部門は相続税を担当する部門であり、亡くなった人の財産を調べる関係上老人ホームなどの介護施設には多額のお金が必要だとは事前に知っていました。

  • 月額20万円

覚悟はしていましたが、いざ当事者になるとその金額には少々驚きます。

1年2年であれば用意できない金額ではありません。

しかし、5年10年と考えると、「老後2,000万円問題もあながち嘘ではないのかも」と考えるようになりました。

5:三世帯の家族全体で支えていく介護のやり方

100年人生において、夫婦で助け合って生活するのには限界があります。

また、子供であっても高齢者入りをする時代なので、三世代で介護を考える時代なのだと感じています。

 ⑴ 親戚も一緒に介護してくれると負担が軽減する

介護をする場合、介護をする側の数が多ければ負担も経験します。

そのため、介護をしている実家だけではなく、近所に住んでいる親戚の力も借りることも大切なのだと感じました。

私の叔母は看護師なので、祖父の病状を把握し必要な手続きもしてくれました。

また、母と叔母の関係が良好なので、作業分担できているのも負担軽減につながっています。

介護は病気と違い、完治することはありません。

ゴールの見えない介護に疲弊してしまい、人生を終わられせてしまう家族をニュースで見ますが、気持ち的には分からなくもないなと思いました。

 ⑵ 施設料金も全員で負担することが現実的

介護施設の利用料が月20万円とした場合、入居する本人の年金だけでは不足します。

なぜなら、介護世代のほとんどは夫の年金のみで生活をしているため、1人のために年金をすべて使うことができません。

また、子ども1人が費用を負担することは大変な重荷になりますので、介護施設の利用料は家族全員で負担することが大切です。

私の家族の場合、三世代で費用を負担するので、一人当たりの金額も少なく済みます。

  • 祖父の年金
  • 叔母
  • 私の兄弟

 ⑶ 曾孫に向けた笑顔に家族が幸せに

ここまで、介護の苦労する部分だけにスポットをあてましたが、介護はマイナスばかりではありません。

家族の名前も忘れてしまうほど記憶も曖昧になってきている祖父ですが、不思議と曾孫の存在はしっかりと認識できています。

そして、曾孫に向けられる笑顔は、介護する側も笑顔になるくらい幸せな表情でした。

面会なども仕事の合間を縫って行くことになりますが、その笑顔をみると来て良かったと実感します。

6:介護を感謝の意に変えて

正直に話せば、私は本当の意味での介護の当事者になったわけではありません。

ただ、生まれてからほとんどの時間を祖父と同じ家で過ごし、祖父がいない空間は人生で初めてに近い出来事です。

祖母や母に至っては私の倍、祖父と同じ空間を共有してきました。

寂しいわけがありません。

それでも、90年以上大病せずに生きてきた祖父には感謝でいっぱいです。

あとどれくらいの期間一緒に時間を過ごせるかはわかりませんが、最後の最後まで元気でいて欲しいと本当に願っています。

 

ご参考になれば幸いです。