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人生で大事なのは到達地点ではなく達成した『納得感』である

道
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※ 導入部分が極めて長いです。

 

とある一人の少年の小学校・中学校時代の話。

1 小学校時代

少年は物心ついた時から野球が好きだった。

両親の影響かもしれないし兄弟の影響かもしれない。

でも少年には誰からの影響受けたかは関係なかった。

「自分はプロ野球選手になる」

そう信じて疑わなかった。

目指すはもちろん高卒ドラ1。

実際にどのぐらい練習すればいいのかはわからないけど、多分大丈夫だろうと思っていた。

 

少年野球に入ったのは小学校4年生になった時、

「ここから僕の野球人生は始まる」

初試合の前日には自分がホームランを打つシーンを想像して寝ていた。

でも、現実はそこまで甘くはない。

初打席は鈍い打球のゴロ。放物線は描けなかった。

甘くない現実がもう一つ。少年が入った少年野球チームは超弱小チームで、少年が入った年で勝利したことは1度もなかった。

たった1度も。

1度の勝てないチームに上手くなりたい熱量はなく、徐々にぬるま湯に浸かりはじめた少年がそこにはいた。

小学校5,6年生になると少し勝つこともできるようになったが、基本的にはコールド負け。

勝つ喜びを感じられないスポーツは中々モチベーションが上がらない。

「明日雨降らないかな」なんて金曜日の下校時間にそう思うことも少なくない小学校時代を送っていった。

 

それでも不思議なことに少年はプロ野球選手になれると思っていた。

 

 

2 中学校1年生時代

野球にはゴム製の軟式球と石のように硬い硬式球があり、プロ野球は硬式球で行う。

少年野球や中学校の部活では軟式球を使うが、同じ小学校・中学校でもリトル・シニアリーグと言われるクラブチームでは硬式球を使用するため、甲子園やプロ野球選手を目指すほとんどの人がリトル・シニアリーグ出身だ。

少年は小学校は少年野球、中学校ではクラブチームには入らず、部活の野球部に入部したためまた一つプロ野球の道から遠ざかっていく。

公立中学校の野球部は地元の少年野球チーム出身のメンバーが主力となるので、少年野球チームが強いほど中学校の野球部も強くなる。

その条件だと少年野球チームが弱い地域の中学校の野球部は当然弱くなり、必然的に少年が入部した中学校の野球部も超弱小であった。

そうなると少年野球時代と同じでまた練習試合にも勝つことがほとんどない経験をしつづける。

野球を始めて毎回毎回負け続けることを経験しながら熱意を持てるほどの情熱は少年には無かった。

 

少年は夢であったプロ野球選手が実現しない現実を受け止めつつあった。

 

3 中学校2年生時代

それでも中学2年生になると3年生の投手が成長して負け越すけども練習試合ではちょこちょこ勝てるようになる。

少年野球時代から負けることに慣れていた少年は勝つことの嬉しさを感じていた。

特に練習試合で勝てるチームと対戦するのは一つの楽しみであった。

「あの中学校には勝てる」

そう思える中学校も存在した。

スポーツマン精神は大事だが対戦競技をする中ではやはり勝つことが一番の喜びを感じるのは言うまでもない。

勝利の為なら不必要だと思うゲンを担ぐこともある。

 

野球において後攻めは有利だ。

プロ野球を観れば一目瞭然で、先攻はビジターチーム、後攻はホームチームゲームと決まっている。

中学校ぐらいまでは先攻後攻をじゃんけんで決めることは普通なので、じゃんけんに勝てば当然後攻を選択する。けれど少年のチームのキャプテンはじゃんけんに勝っても何故か先攻先攻めを選んでいた。

理由は「先に点を取って投手に楽をさせたい」から。

それが本当の理由かはわからない。普通に考えれば後攻が有利だから。

けど、先攻を選ぶ比率と同じように弱いなりにも徐々に勝てるようになるから不思議なもの。だからゲンを担ぎたくなる。

チームの調子が一番上がっていたタイミングで先輩の最後の大会が始まった。

 

対戦相手は最近一度の負けていない『あの中学校』だった。

キャプテンはじゃんけんで勝ち先攻を選択。

ゲンを担いだ効果かこちらの投手は絶好調。相手のほとんどの打者に打たれる雰囲気はまったく感じられなかった。こんな感覚は守っていても一度もなくその日ほど頼もしいと感じた試合はなかった。一人の打者を除いて。

相手チームの投手も最後の大会だけあってかいい投球をして点を取ることはできず。弱小チーム同士では珍しい0対0の投手戦に。

相手チームの一番打者だけが唯一先輩の投球にタイミングが合っていた。けれど逆にその一番打者を抑えれば点を取られることはなく、1点でもこちらが先制すれば勝てる試合。

試合も中盤に差し掛かり、一人走者を置いて、打席には唯一タイミングが合っている例の一番打者。

外野を守っていた少年は嫌な予感がした。

「打たれそう」

それは現実となった。

外野の頭を超えて適時三塁打。先制を許してしまう。

そしてその先制点はその試合唯一の得点であった。

そう、唯一の。

 

試合は0対1

 

7回イニングの中学校の試合でもめずらしい1時間にも満たないほどの投手戦。あの1打席がなければいつまでも試合が続くと思わせるほどの試合。

そして少年の先輩たちにとっては中学校最後の試合となってしまった。

負けて引退が決まった先輩たちは号泣。でも少年はそれ以上に大泣きした。自分はまだ1年あるのに周りの目も考えず大泣きした。

自分が何もできなかったし、何も貢献できなかった。

ただ悔しかった。負けることには慣れていたと思っていたが本当に悔しかった。

心の中に「あのチームなら勝てるだろう」との驕りがあった。弱小チームなのに。

何より、もう少し先輩達と試合がしたかった。

4 中学校3年生時代

新チームとなって少年は野球部キャプテンになった。

部員8人の。

先輩達最後の試合の悔しさをぶつける以前に8人だと試合に出場する権利がない。

新チームの初陣となるはずの市内中学校大会には出場できず、代わりにその大会の雑用をすることに。

野球は8人じゃ試合できない。勝つ喜びも負ける喜びも味わうことができない。

試合に負けた悔しさはあるのにそれを試合にぶつけられない。その無力感・虚しさから野球への情熱は一層薄れていった。

 

秋の新人戦は奇跡的に接戦を繰り広げて負けたが、まぐれだったのは明白で勝てる要素が見つからない。

そんな雰囲気では活気もイマイチ出ず、だらけてしまう少年とその間にも猛練習をする他校との差は広がるばかり。

少年が3年生になり、1年生はある程度加入してきたが、上手い選手はクラブチームへ行ってしまうため、中学校の野球部には所属せず、大幅な戦力アップは見込めなかった。

 

プロ野球選手になりたかった幼少時代

勝つ喜びを味わえなかった小学校時代

負けた本当の悔しさを味わった中学2年の夏の大会

野球競技への情熱が薄れかかったキャプテン時代

 

「もう野球でやり残したことは無い」と何も成し遂げていないのに少年は思い始めた最後の夏。その最後の大会のトーナメントが抽選により決定した。

対戦相手は昨年同じ大会同じ初戦同じグランドで負けた『あの中学校』

1年前のリベンジをするチャンスが最後の最後に少年の目の前に訪れた瞬間だった。

 

野球人生を語れるほどの練習や経験を積んではいない。けれど、1年前に負けた悔しさと先輩たちの涙が忘れられなかった。

正直戦力的には去年のチームより遥かに劣っていて勝てる確率は低い。でもそんなのは関係ない。絶対に勝ちたい。それがたとえ練習もたいしてせずに野球の情熱を失ったわがままな人間だと言われても。

 

運命の最後の夏の大会

1年前のあの夏と同じグラウンドに戻ってきた。

1学年下の後輩も去年の悔しさはしっている。おそらく今までで一番気合は入っている。毎回そのくらい気合が入ればもう少し強くなれたかもしれないが。

試合前に両チームのキャプテンで先攻・後攻のじゃんけんを行う。

少年はじゃんけんも絶対勝ちたかった。そして無事勝利し、先攻を選択。

野球が後攻が有利なのは知っているし自覚もしてる。大人からも怒られた。

「なぜ後攻を選ばなかったのか」と。

「先に点を取って投手を楽にさせたいんです」

大人へは建前の理由を話して終わりにしたが、本当の理由は別にあった。

「同じ大会・同じ初戦・同じグラウンド・同じ相手に同じ先攻を選んで勝つ

『先攻』には少年のちっぽけなプライドと意地が込められていた。

 

 

 

試合は勝利。無事一年後のリベンジが果たせた。

点数なんて関係ない勝てればそれで良かった。

ただ、2人しかいない3年生で少年ともう一人が打点をあげたのは本当に気持ちよかった。

 

試合後の喜びと休憩兼ねて、球場裏の芝生で昼食を取ることに。

少年の心はリベンジを果たせた気持ちで一杯だった。けど、その隣で泣いている後輩がいた。

その後輩は終盤のチャンスで打てなかったことを悔いていた。試合に勝ったのに。

それを見た少年は「バトンを渡せるなと」思い少し心が晴れた。対して何もしていないのに、何故か満足していた。

 

昼食後中学校へ戻ると、去年負け投手となった先輩がわざわざ来てくれていた。

「リベンジ果たせました!」

と伝えて喜んでくれると思い手を差し出そうとすると、

「少年、よくやった!!」

抱きついて大喜びしてくれた。

自分が果たせなかったリベンジを後輩が果たしてくれた。

その気持ちを後輩へ素直に伝えてくれた先輩。

「自分の野球人生はこのためにあったんだな」

その瞬間少年は中学校での野球の引退を決めた。

 

次の試合は当然ながらコールド負け。

悔しさもあったけど、それよりも満足感が上回っていた。

「あの中学校に勝てたことが全てだったな」

負けて泣いている後輩を尻目に感傷に浸る少年。

「決して上手くはないし勝つこともできなかった。後悔しないほどの努力をしたとは決していない。けど、最後の1勝を出来たことは本当に野球をやってて良かった」

 

こうして少年の野球人生は終わりを告げた。

 

END

 

5 人生において最も大事なのは『納得感』

長文読んでいただきありがとうございました。

私の中学校時代の実話を基に書かせていただきました。

 

「人生で一番達成感があったのはいつか」

との質問があれば間違いなく中三最後の夏の大会初戦を挙げます。

逆に、「人生で一番悔しかった経験は」

と聞かれれば、間違いなく中二の夏の大会を挙げます。

 

そのくらい思い入れの深い出来事でした。

 

何のために仕事をしている

何のために生きている

考えることも考えてしまうこともあると思います。

 

正解なんて人それぞれですし、何通りの答えもあると思います。

 

ですが私は『納得感』が一番大事だと思っています。

どんなに大変でも、どんなく苦労しても、自分が行動した結果に納得してれば結果がどうであれ関係ありません。

 

人生で失敗した出来事があっても、自分で選択をした人生であれば納得がいきます。

 

他人が勧めた道、他人が進んでるから選んだ道には納得感が得られません。

 

長年勤めた仕事でも、自らの意思で辞めるのであれば納得がいきます。

決断が納得感を呼び起こします。

 

人生に悩んでいましたら何か一つ自分で選択した事を実行してください。

自分の選んだ道であればがんばれます。

 

 

ご一読ありがとうございました!