「なんで電車遅延しとるんじゃー!なんとかしろよボケー(# ゚Д゚)」
いつの時代にも不思議といますよね(苦笑)
電車の遅延はその後の予定が狂うので苛立つ気持ちもある程度わかりますが、遅延の理由に駅員さんは関係ありません。
それなのにわざわざ駅員に対して「ふざけんな、ボケ!」なんて罵倒する人(イメージ9割オッサン)の気持ちがわかりません(;^ω^)
しかし、「うわっ変な人がいる」で終わらしてしまっては負の連鎖が終結することはありません。
その人に共感するかは別です。しかし、その人の言いたい事・思っている事を理解しようとする気持ちは大事です。
自分を好意的に見てもらうために努力はしますよね。たとえそれが自分の好きじゃない人であっても。
他人が自ら理解しようと思わせることは難しい。でも自分自身なら他人の気持ちを考えることは可能です。
面倒なオッサンの気持ちを考えるのは無益に思うかもしれません。
それでも少しでも理解できる点があれば、怒っている事への溜飲が下がるかもしれませんので、少しだけお付き合いください!
1 テンパって自分の事しか考えられない説
失礼ながら駅員に言い寄るオッサンはできるビジネスマンに見えますか?
少なくても私は見えません。
仕事ができないオッサンビジネスマンをイメージしてみました
- 効率が悪い
- 物覚えが悪い
- 後輩・部下を育てない
- 上司に媚を売る
- かなり太ってる
そんな人がイレギュラーな出来事(電車遅延)が発生した場合に対処できますでしょうか。
いいえ、対処はできません。
では、どう考えるのか。
テンパって自分より下の立場(と認識する)の人間に責任を負わせたい!!
そう考えるはずです。
電車の遅延
⇓
会社に間に合わない
⇓
テンパって自分じゃどうすることもできない
⇓
責任を擦り付けたい
⇓
駅員を罵倒する
最終的に罵倒行為に落ち着きます。
(そこはテンパらずに落ち着きます(笑))
2 他人の立場が理解できない説
「相手の立場になって考えましょう」と教えられて全員がその通りにできていればこれほど幸せな世界はありません。
(まぁ現実はそんなには甘くないのですが・・・)
罵倒するオッサンはどう考えてるでしょうか。
まず、罵倒する時点で相手の事を考えていません。
相手が不注意による行為であれば、注意をしなければいけませんが、『罵倒』の選択肢は最善ではありません。
相手を誤りを正したいのであれば、
- 誤りを指摘
- 誤りによる結果を説明
- 対処方法を検討させる
- 今後どうすればいいか考えさせる
これらをやれば十分です。
しかしながら、罵倒するオッサンは自己利益が一番であり自分以外に興味はありません。
いかに自分が得をして、周囲を自分のため利用するか。
それだけです。
そんな思考を持っていては他人の心を理解できるはずがありませんよね(-ω-;)
3 ここぞとばかりに罵倒行為をしたい説
批判をしたい人は、相手に非違がある場合には一方的に罵倒できるチャンスが訪れたと認識します。
(本当はそんなものないのですが)
一般的な人はある程度怒ったとしても必要以上には怒ることはありません。
しかし、罵倒したい人はそのチャンスを使い罵詈雑言を吐きたいのです。
そんな人は、
普段の生活では無力感を感じていると思います。
日々の生活に喜びを感じれずにいます。
そんなうっぷんを晴らすべく駅員に言い寄るのです。
4 悪役となって駅員を同情の目にさせてる説
逆にオッサンが良い人説はどうでしょうか。
悪役は主役を引き立たすために存在します。
悪役が輝くほど主役が輝き視線が向きます。
もしかしたら罵倒するオッサンは敢えて悪役に徹しているのかもしれません。
大なり小なり電車の遅延に対して乗客は不満を持っていますし、遅延が長引くと不満が一気に爆発するかもしれません。
それならば敢えて自らが駅員を罵倒することによって、「うわぁ、駅員さん絡まれてるよ」、「駅員さんの責任じゃないのにかわいそう」と周囲が駅員さんに同情しつつも、一部の不満をもつ乗客の留飲を下げているのです!!
もしかしたら駅員さんに批判を集中させないために行っている行為なのかもしれません。
(多分違う)
5 ではどの説が一番有力なのか
それは本人にしかわかりません(笑)
少なくても駅員を罵倒している姿は見てて気持ちいいものではありませんよね。
駅員に言っても何も解決しませんし、逆に遅延が長引く恐れもあります。
遅延がないことに越したことはありませんが、もしあった場合には、駅員に同情してあげましょう!
ご参考になれば幸いです!
(なったのかなぁ…)