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技術進化は必要ないし、今のままで問題ない。ただ、置いていかれるだけ

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毎日毎日進化する情報が入ってきます。

数年後には携帯電話を4Gから5Gに移行されて、動画が数秒でDL可能になり、通信ラグがほとんど発生しなかったりと進化が留まることを知りません。

民間で宇宙旅行へ行けるのも現実的になりました。

自動運転もゆくゆくはなっていくでしょう。

 

でも、全くゼロから生み出されたかと聞かれるとそうではありません。

  •  通信の4Gから5Gは進化
  •  宇宙旅行は旅行先の延長
  •  自動運転も手動運転がベース

 

未来を考える時に必要なのは過去からどう進化してきたかを理解することです。

まったく同じ進化は二度とありませんが、進化の経緯については似ているケースは発生します。

 

19世紀に起こったアメリカのゴールドラッシュを知ってますでしょうか。

金脈が眠ると言われている地域への人がどんどん集まった一大ブームです。

そのブームで一番利益を得たのは金脈を掘るために必要な道具を販売した店です。

また、一攫千金を獲得したのはジーンズメーカーのLEVI’S(リーバイス)の創業者で、金脈を採る人が着るようにジーンズを作成したのバカ売れ。

ゴールドラッシュは金脈自体が無かったような話なのですが、リーバイスにとっての金脈は埋まっていました。

 

このような現象はゴールドラッシュ時だけではありません。

過熱するブームはその周囲が最も確実な利益を獲得することが出来るのです。

なので今回は、発想の観点から説明していきます。

 

 

1 全ての道具は体の機能を特化させたもの

体

 ⑴ PCは脳、車は足の代替品

人工知能が人間の知能を超えるとの話もチラホラがありますが、基本的には人間の脳を模倣したに過ぎません。

人間が考えつかない事やできないことをすることはないでしょう。

車も同様です。

走れば1日100㎞が限界ですが、車であれば1日1000㎞移動することもできます。

でもあくまでも足の代わりですよね。

つまり便利機能は身体の一部の代替品でしかないのです。

 

 ⑵ 身体の部位に無い機能は不要は機能

人間の進化によって尻尾は退化した部位です。

尻尾は動物にとって必要な部位ですが、人間にとっては不要になったので無くなりました。

(厳密には残ってますが)

 

生活においても同様です

日常生活で不要になったものは無くなり必要なものが残ります。

逆に不要なものも残しておくとやるべきことが多すぎで結果溜まり過ぎてしまいます。

無くなることは割ることではありません。

それが自然の摂理ですので。

 

 

2 物事は螺旋階段のような繰り返し

螺旋

 ⑴ 全ては昔からの延長線上に存在する

民間企業が月への宇宙旅行を計画・実行段階になっていますが、最近始まったプロジェクトではありません。

アメリカとソ連(現在のロシア)が競っていた時代もそうですが、月についての興味は何千年、何万年前からありました。

つまり、長年の(月に対する)思いが今の時代にたまたま成就しただけであり、今に始まったことではないのです。

 

「遠くの人と早く連絡を取りたい」

その願いが飛脚が馬となり、鉄道となり、車となり、電話・メールとなりました。

昔から目的は変わっていません。

 

 ⑵ 右肩上がりは全てがおかしい

進化=全ての生活が良くなるではありません。

文明の発達によって戦争という巨大な争いや、技術発達により地域の過疎化も進行しました。

全体的に見れば右肩上がりかもしれませんが、局地的な満足度は下がっています。

「昔は○○でよかったな~」なんて言葉はよく聞きますが、現在の方が圧倒的に便利ですし再度やることも可能です。

でも心理的には過去の方が満足度は高いのです。

その人にとって科学の進化=満足度ではありません。

 

 

 

3 アナログで十分なのは人間の真理

 

 ⑴ 個人が生きるだけなら進化は不要

当たり前ですが、人間の祖先は自然社会で生きてきましたので、現代人も自然界に突然放たれても生きていけます。

ただし、人数は激減しますし、そのままではやがては衰退するでしょう。

 

進化は人類を生存させるために発達してきました。

戦争や病気が蔓延しても爆発的に数を増やせている人類は間違いなく成功です。

つまり進化=数の増加であり、進化=個が生きるではありません。

 

 ⑵ 狩猟民族に『未来』の概念は存在しなかった

不思議に思われるかもしれませんが、狩猟民族は過去と現在しか考えとして持っていなかった説があります。

「そんなことないだろう」と思われるかもしれません。

でも、未来を予測するのはなぜでしょうか。

1種類の動物であった人間は食料は生えていた果物や木の実から摂取していました。動物を食べていたかもしれません。でもどんなにたくさん食べても無くなることはありません。

仮にその地域の木の実が無くなれば移動すればいいだけです。1年後にはまた生えてきますので。

人間が未来を考えるようになったのは穀物を育てるようになってから。

穀物は収穫までに大変な月日が掛かります。

食料を確保できるメリットはありますが、その間その場を離れることもできませんし、外敵から穀物を守らなければいけません。

当然そうなるとどのくらいで穀物が成長するのか、収穫まであと何日寝ればいいのかの計算が必要となり、その結果未来の概念が生まれてきました。

 

農耕民族になってからだかだか1万年です。人類は600万年とも700万年ともいわれていますので、極々最近になってから未来を考えることになりました。

それを踏まえると未来を予測するのが苦手で当然です。

まだ考えてから間もないのですから。

 

 

4 進化する可能性があるから希望がある

とはいえ、未来を考えるようになったのがマイナスではありません。

不測の事態に対応できる能力は生存戦略にとって最も大事ですし、いくつもの困難は予想することで乗り越えてきました。

 

進化の過程も同様です。

徒歩で移動することが困難な人は技術の発達により1人でも移動できるようになった。

幼少期の病気は現代科学により極限まで減少することができた。

これだけの世界のこれだけの人数を満足でさせるくらいの食料を生産することを可能にしたのも科学の進化のお陰です。

決して進化=悪ではありません。

ただ、現代の進化が早すぎて追いつけなくなる人が大勢いるのも事実。

それに乗るか乗らないかは自由ですが、進化の波に乗ることで新たな幸福が待っているのかもしれません。

 

ご参考になれば幸いです!